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それが愛する人ならば

一時期、マスコミで騒がれましたが…。

こんばんわ、nieです。
大事なことだと思うので、
一時のブームであってほしくない。

参加しています(^^ゞ
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いつもクリックありがとうございます(*^^*)


グリーンリボンキャンペーンというのをご存知でしょうか。

「臓器移植を応援するキャンペーン」
ということで、中には拒否感を抱かれる方もおられるかもしれません。

うちの母と以前話し合った時、
嫌悪感を示していました。

「私の親世代であれば、仕方ないのかなぁ」と、
その時は思いましたが……。



もしも、私にとって大事な人たちが、
病気や事故で、治療に臓器移植が必要になったならば。


本人が望まないのであれば、
静かに、そして充実した余生を送れるよう、力になりたい。


けれど。

生きたい。
生きて、やりたいことがある。

そう思うのであれば、
ドナーが現れることを切実に願うと思う。



人の数だけ様々な思いや意見、考えがある問題だと思います。

大事な人と話し合うきっかけのひとつになればいいなぁ、
と思い、今日の記事にしました。

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theme : 医療・病気・治療
genre : 心と身体

コゲチャさんへ

コメントありがとうございますm(_ _)m

移植治療もいくつか種類があるようで、
生体肝移植や片方の腎臓の移植、骨髄移植のような
生きている方から生きている方への移植。

腎臓や角膜のように、
亡くなられた方から生きている方への移植。

そして、心臓や肺、小腸などの脳死移植…。

どれも難しい選択ですよね。
「正しい」という答えがないですもん。

>両親が亡くなった後についてのリクエストは既に受けてますもので、
>その時が来てもリクエスト通りのことをしてあげるまでですが( ・∀・)アヒャ

最高の親孝行だと思います(^^)

No title

ふと、自分が臓器移植が必要になったとしたらどうするかな、と考えると…
やらなきゃいけない事が目の前にあったとするなら、たぶん躊躇なく移植してもらう選択肢を選ぶんだろうなと思うのですが…
ドナーの人にとっては、移植する事でその臓器については代えの効かない状態になってしまうわけで、それだけ生きることの難易度を上げてしまうわけで…そのリスクを他人に負わせてまでしてやる事がないと判断した場合は…今の私なら遠慮しちゃうかなと(;´∀`)

ただ、こーいうのは意思を表せる間に表しとかないと、その時が不意に来た時に周りの人が困るんでしょうし…きっと、こっちの意思と無関係に「何が何でも生かさねば」なんて事を考えてしまいそうですし。

両親が亡くなった後についてのリクエストは既に受けてますもので、その時が来てもリクエスト通りのことをしてあげるまでですが( ・∀・)アヒャ

ぽんさんへ

>まるで自分が大切な人に止めを刺してしまうような思いすらかんじます。

これは、まさにその通りだと思います。

>「死」について語りあうというのは気持ちのいいものではありません。
>それをどう話題にしていくのか、そういうことも考えていかなければならないですね。

現代の日本は、死ということについて潔癖になりすぎているせいか、
あまり触れる機会がないんですよね。

一昔前であれば自宅で家族に見守られながら息を引き取るのが当たり前だったのに、今では病院という白くて清潔な空間で治療の延長線上にあって、日常から隔絶されているのもその理由のひとつかなぁ…と私は考えています。

先日姉との話の中で、「子供たちがハムスターを飼いたいと言っている」という話題が出て、
私は賛成しました。
人の死を身近に感じる機会のない今、自分が毎日可愛がり、寝食を共にする生き物との生活や死の体験ということは、甥っ子たちにとって命の教育になるのではないかと考えているからです。

「いつか死ぬ存在として命を飼育する」という考え方も残酷に捉えられるかとは思うのですが、避けて通れない道なので、私はペットを飼う時点でそのことも含め『最期まで責任を持つ』という覚悟でいます。


……と、いつになく熱く語ってしまいました(^^;


余談ですが、ヨガには「死体のポーズ」という、究極的に難しいポーズがあります。
何度やっても難しい!!

これもまた、死を考えるひとつのきっかけになるかもしれません。

はなさんへ

コメントありがとうございますm(_ _)m

>自分の欲しい物を与えると良いと聞いたことがあります。

私も、聞いたことがあります。
与えることそのもので自分が得られるものと、
それが巡り巡って得られるものがあるけれど、
それ欲しさに与えるということは、相手から奪うことになる、ということも。

「自分や、自分の大事な人がレシピエントの中で行き続けることができる」
という考え方で移植を捉えるならば、
それは誰にとってもいい選択だとは言えないような気がしています。
ドナーはドナーの人生があり、
レシピエントにはレシピエントの人生があって、
臓器の移植は命のリレーの形のひとつかもしれないけれど……。

うーん、私自身何が言いたいのかよく分からなくなってきました。

私も考えていきたいと思います。

アメさんへ

うわー、AA見たかったぁ!
またお願いします(´・ω・`)

No title

これは本当に難しい問題ですね

移植を待つ側に身を置けば、「もっとドナー登録を」となるんですが、臓器を提供する側となるといろいろな考えがあります。「人の死」をどう考えるかという問題ですから、それぞれに考えがあってしかるべきだと思います。

ぼくは正直なところ決めかねてます。
自分が死を迎えたら、身体の一部だけでも人の役に立ちたい、誰かの人生の一部として生きていきたいという気持ちもありますが、自分の大切な人が脳死状態になったときにそれを「死」として受け入れられるか、回復の見込みはなくても暖かなぬくもりのあるうちに「死」を受け入れられるかと問われれば、答えに詰まってしまいます。まるで自分が大切な人に止めを刺してしまうような思いすらかんじます。

残された者にそのようなつらい思いをさせないためにも普段から意思をはっきり伝えておくべきなのかもしれませんが、「死」について語りあうというのは気持ちのいいものではありません。それをどう話題にしていくのか、そういうことも考えていかなければならないですね。

No title

そうですね。
ドナーになるか、ならないかと言う前に
まず、そのことについて考えて話し合う。
自分の欲しい物を与えると良いと聞いたことがあります。
もし自分だったら・・・ですね。
私も考えてみます。

No title

難しい話ですねーAAをつい自重しちゃったよ
自分の周りに起きないとなかなか 気づかない話ですね

とりあえず スクリーンセーバとブログパーツとバッチGETしますた
応募はちょと 遠慮したけど v(。・ω・。)ィェィ♪
Secret


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あの世に行った後の事

たいしたわけもなく、金曜の夜から実家でヽ(´ー`)ノマターリ中。どうも、コゲチャです。 6ちゃんでやってる朝ワイドで「死」について特集...

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Author:nie
(読み方・にえ)
濾胞性リンパ腫と双極性障害Ⅱ型、肝機能障害を治療中。







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